「強い腕」の向けられる先

現場仕事終了。
次回の出張も、取り敢えず山は越えたという感じだよ。
いくつか後処理はする必要があるのですけど、何となく気は楽になります。

次回の現場で、またもや別のロシア人と少しばかり政治の話。
この方もやはり「消極的プーチン支持」とでも言うべき態度で、政治にはあまり興味ないんですよねと断りを入れつつも、なかなかいろいろ話してくれます。

彼によれば、プーチンはやはり「強い腕」を持っているからいい、とのこと。
あれだけを聞くと、案の定ロシア人は強力な指導者を欲しているのかというイメージになってしまうのですけど、彼が続けて言うには、「90年代は地方のボスたちが好き勝手やっていて無茶苦茶でしたけど、プーチンは彼奴らを排除してくれた」と。
つまり、「強い腕」によって糾され懲らされるのはあくまでも悪いボス連中であって、自分たち自身が強権的に支配されるイメージではないですうなのだよ。

ここら辺りは世界のいかなる独裁支配にも共通の現象なからしょうし、水戸黄門を喜んで見ている日本人だってその素質ありなのかもしれません。
「強い指導者」を望んでいるからと言って、無気力で奴隷的な国民とは限らないのですよね。